■「さようなら原発全国集会」(2017年3月20日)のあいさつ(要旨)
もっともっと声をあげよう
作家 落合恵子さん
東京電力福島第一原発の過酷事故から6年がすぎた。きょうは春分の日である。しかし、「ばあちゃんのお墓参りにいけない」と涙ぐんだあのひとがいる。いまこのときも、「過労とストレスをかかえこんで倒れる寸前だ」とつぶやいたあのひとがいる。子どもの甲状腺がんに悩むご家族もいる。
自主的に避難したかたがたの住宅支援は、この3月末に打ちきられる。だれがあの事故をおこしたのか。罪もないひとびとの住宅支援を打ちきるということは、その支援があるからようやく生きてこられたというひとびとの暮らしといのちを奪うことである。私たちはそれを忘れてはならない。住宅無償支援の継続を私たちは叫んでいきましょう。求めていきましょう。それはひととしての権利である。あの事故をおこしたひとびとに最後まで責任をとらせようではありませんか。(「そうだ」の声、拍手)
この国は、福島のひとびとの生きる権利、生きのびる権利を奪おうとしている。なにが民主主義なのか、と片腹痛いという気がする。同時に、原発で働くひとびとの被曝の苦しみを無視しておいて、なにが東京オリンピックか、と言いたい。私はそれに反対しつづける。(拍手)
私たちはこの春をレーチェル・カーソンがいう「沈黙の春」にはしない。「沈黙はやぶるためにある」ということを約束しましょう。声をあげつづけましょう。不当、不正、不寛容とたたかいつづけることを再度約束しましょう。いのちあるすべてのものの生きる権利のために、です。苦しむために生きてきたいのちなどひとつもない。そういう声をあげていきましょう。(拍手)
あまりにも不透明きわまりない問題がつぎつぎとおきるので、頭がくらくらされているかたもおられると思う。森友学園はなんなのか。私たちのためのものであり、私たちのものである国有地をあんなに激安で手渡した。その背景にいるのはだれであり、なんなのか。それをきっちりとつきつめましょう。(「そうだ」の声、拍手)
森友学園はすでに劇場化している。テレビは劇場のように報道している。その劇場にのってしまうと本質がみえなくなってしまう。あの現実をだれがつくったのか。この現実をここで断ちきらないとずっとつづくということをしっかりみつめていきましょう。(「そうだ」の声)
劇場化は、大きな問題である福島の現実や、そこまで迫っている共謀罪も隠す力がある。このことを忘れてはならない。
沖縄平和運動センターの山城博治さんがこの18日にやっと保釈された。よかったが、保釈かよ、という腹だたしさもある。これが、私たちがいやおうなくもってしまった現実である。そういう現実を、目をそらすことなくみつめていきましょう。
約束しましょう。私たちはけっしてこの国とこの政権に与(くみ)しない、と。約束しましょう。こんなに醜悪で不平等な社会を子や孫にはけっして残さない、と。約束しましょう。私たちは、地位も名誉もお金も彼らにはかなわないが、人としてていねいに深く生きていて、彼らよりすばらしいものをもっているという誇りをもちましょう。(拍手)
きょう、東京都議会の百条委員会で(石原慎太郎)元都知事の証人喚問がおこなわれている。あのかたは差別主義者である。新銀行東京が破綻した責任はだれがとるのか。無責任きわまりないあのかたの話に私たちはうなずくのか。わたしはうなずくことができない。
あのかたが現職だったころ、どれほどのメディアが声をあげたか。ほんのわずかしか声をあげなかったではないか(「そうだ」の声)。それはなんなのか。おなじことが国会でおきているということを私たちは忘れてはならない。
自衛隊の南スーダン派遣では、なぜ資料や情報が消されたまま行方不明になっているのか。戦闘があったということを隠すためではないか。(「そうだ」の声)
私たちは、いつまでモノ言わぬ市民でいるのか。ここにおられるかたがたはいろいろなところで声があげておられる。しかし、もっともっと声をあげていきましょう。流さなくてもすむ涙を流させる国と政治と権力者におさらばしましょう。
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