原発問題でみえてきたもの

〜官邸前抗議行動に毎回参加して思う〜

山崎 展





 原発なくせ首相官邸前金曜抗議行動に私は4年半以上参加しつづけています。
 この行動は、2011年の福島第一原発事故を受けて2012年3月からはじまりました。主催は首都圏反原発連合(反原連)です。今月20日は230回目の行動でした。
 金曜行動に参加して感じていることなどを綴ってみてはどうかとお誘いを受け、思いつくままにあれこれ書いてみました。


目の前の危険を見過ごしてきた自分を反省

 私は1944(昭和19)年、つまり日本敗戦の前年に東京で生まれました。東京大空襲のときは母親の実家の栃木の片田舎にいたので、その難をのがれました。戦後、東京都立川市の近傍に移り、そこで多摩っ子として育ちました。今年(2017年)の3月には73歳を数えます。
 ふりかえってみると、ただ馬齢を重ねてきただけという思いなきにしもあらずです。そうしたなかで福島原発事故に直面しました。目の前の危険を何とウカウカと見過ごしきたことかと反省しました。ちょうど退職の時期と重なったこともあり、金曜抗議行動に参加しました。


なにがなんでも再稼働の日本政府

 福島原発事故からすでに5年10カ月がたちます。しかし、依然として放射能汚染水はコントロールできません。メルトダウンをおこした原子炉の廃炉作業は困難をきわめて見通しがたちません。事故の原因究明も責任も曖昧(あいまい)なままです。
 それなのにこの国の政府は再稼働に突っ走っています。世論の6割は再稼働に反対です。それを無視し、川内原発と伊方原発を再稼働させました。そのうえ、例外とした稼働40年超の老朽原発まで動かそうとしています。
 原子力規制委員会の田中俊一委員長は「適合性を審査しているのであって、私は安全とは申し上げません」と言い、無責任な態度をとっています。政府は政府で「世界一きびしい規制審査に合格したから安全である」とワケのワカラン論理を振り回しています。新しい安全神話をふりまき、なにがなんでも再稼働です。
 原発避難者は現在も8万6千人を数えています。避難者は、一日も早く帰還、生活生業の再建にとりくみたいが放射能汚染が心配で戻れない、と躊躇(ちゅうちょ)しています。ところが政府は、避難解除の要件を年間20ミリシーベルトとし、ほかの発がん要因と比べて十分に低いと言い放ちました。戻らないのはあたかも避難者の我慢であるといわんばかりです。
 チョッとまってください。事故前の放射線被曝線量限度は年間1ミリシーベルトであったはずです。この限度は1万人の被爆のうち1人がガンで死ぬのは仕方がないというものだそうです。これを4人とする研究者もいます。それを年間20ミリシーベルト以下なら十分低いとはどういうことでしょうか。事故後に放射線への耐性が高まったとでもいうのでしょうか。あまりにもバカにした話です。大人に対して20倍もの危険を押しつければ、子供の危険度は大人の5倍といわれるので100倍になります。どうして安心して帰還できましょうか。


棄民政治がいまもつづく

 政府・東電は避難指示解除を急ぎ、原発事故は終わったとし、賠償を打ち切ろうとしているのではないでしょうか。民を切り捨てようとしているのではないでしょうか。
 私は、「戦後は終わった」というフレーズがふりまかれるなかで取り残されたように傷痍軍人がアコーディオンを奏しながら街頭や電車内で喜捨(きしゃ)を請(こ)うていた姿を思いだします。
 この国は民を使い捨ててきたように思います。満州やサハリンに民を棄て、沖縄県民を鉄の暴風にほうり込み、本土住民をアメリカの無差別空爆にさらし、果ては広島・長崎をピカドンの洗礼にさらしました。ただただ「国体護持」のひとことのために国民を犠牲にしてきたのです。
 日本は戦後、朝鮮戦争で経済成長のキッカケをつかんで高度成長をとげました。その裏で大気汚染・水質汚染など環境破壊を繰り返し、公害病を生みだしました。ここでも、民を犠牲にして豊かさを築いてきたのです。
 ふりかえってみれば、ことほどさようにこの国の政治は民を使い捨てる棄民政治をつづけてきたのだと思わざるをえません。


けっしてヘコタレない

 私たちは、高度成長の繁栄と豊かさの幻影にかくされたこの国の政治の本質を見過ごしてきたのではないでしょうか。もう茹(ゆ)でガエル状態です。ウカウカしておられません。原発問題でみえてきたのは、エネルギー政策の転換は政治のおおもとの転換と連動しているということです。反原連が、自身の課題追求と同時に政治の変革を求める幅広い連帯を強めているのも、そういう立場であると思います。
 過日、米上院議員の自称民主的社会主義者バーニー・サンダース氏は、支持者を前に「あきらめるなんて贅沢(ぜいたく)はありませんよ、いいですね」と説いたそうです。私も官邸前抗議行動への参加を通してそのことを痛感しています。けっしてヘコタレないと。そんなヒマはないのだと。
(2017年1月)




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