川辺川ダム計画が復活へ
〜現地を見学して考える〜
中山敏則
いったん中止になった川辺川ダム建設計画が復活しそうだ。蒲島郁夫熊本県知事がダム建設を容認したからだ。なぜそうなったのか。現地を見学して考えた。
東の八ッ場ダム、西の川辺川ダム
川辺川ダムは九州最大級のダム計画である。一級河川球磨川の最大支流、川辺川に計画されている。
かつて「東の八ッ場ダム、西の川辺川ダム」と呼ばれた。両ダムの反対運動は方法が対照的である。八ッ場ダム反対運動はお上(裁判所)に頼る哀訴一本槍に終始した。当然のことながら完敗である。2009年9月、民主党政権が八ッ場ダムを中止した。しかし地元住民が猛反対する。同ダムにかかわる6都県の知事もダム中止に反発する。その結果、民主党政権は八ッ場ダム建設中止を撤回した。
一方、川辺川ダムに反対する人たちは世論を味方につける住民運動をくりひろげた。治水の最大受益地とされる人吉市では、川辺川ダム建設見直しを求める陳情書の署名運動にとりくんだ。人吉市民の半数を超える1万8934人分を集める。市外の4万2583人と合わせ、6万人という大量の署名を市議会に提出した。2002年4月の八代市長選挙でダム反対を掲げた候補者が当選する。ダム建設予定地であり、利水の最大受益地である相良村の村長も反対を表明する。人吉市長も反対を表明する。ほかの流域市町村長もダム反対に賛同する。
2008年3月の熊本県知事選挙のさい、熊本日日新聞が世論調査をおこなった。ダム賛成は19.4%、反対は54%である。流域に限れば、反対は59%という高率だ。これをみて、蒲島知事は川辺川ダム反対を表明した。
反対表明の直後、熊本日日新聞と熊本放送が電話世論調査をおこなった。県民の85%が知事の決断を支持した。翌2009年は民主党政権がダム計画の中止を決める。川辺川ダム建設は完全に中止になったかにみえた。
ところが今年7月、記録的大雨によって球磨川が氾濫し、流域で甚大な被害が発生した。犠牲者も多くでた。この大水害を受け、蒲島知事は国交大臣にたいして流水型(穴あき)でダムを建設するよう要請する。これを受け、国交省は流水型で川辺川ダムを建設する方針を固めた。
ダムでは水害を防げない
私は12月13日、現地を見学した。何十年も前から川辺川で渓流釣りをつづけているKさんと、熊本県内で公共土木事業を手広く手がけている建設会社の重役Sさんが案内してくれた。
KさんとSさんは語る。
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「今回の豪雨では、川辺川や球磨川上流などから大量の水や流木が人吉市や球磨村などの中・下流部に流れこんだ。人吉市や球磨村は川幅が狭くなっている。あれだけ大量の水が一気に流れこめば、氾濫するのは当然だ。とくに球磨村は山に挟まれているので、川幅がたいへん狭い」
「川辺川ダムを流水型でつくったとしても、今回と同じ規模の大雨が降れば、甚大な浸水被害を防ぐことは不可能だ。流木で穴がつまる可能性が高い。ダムに一定量の水が貯まれば、ダムの決壊を防ぐために緊急放流がおこなわれる。この放流が下流部の浸水被害を大きくする。じっさいに、人吉市では1965年も甚大な浸水被害が発生した。その原因は球磨川上流に建設された市房ダムの緊急放流だ。今年7月の大水害のときも、市房ダムは緊急放流を迫られていた。しかし球磨川の中・下流部が氾濫したので緊急放流をひかえた。そのため、ダムが決壊する恐れもあった。もし市房ダムで緊急放流がおこなわれたり、ダムが決壊したりすれば、人吉市などの被害はより大規模なものになった」
「川辺川は日本最後の清流といわれている。アユの漁場としても名高い。蒲島知事や国交省は流水型ダムについて『環境負荷が小さい』と言っている。だが、流水型ダムができれば清流が損なわれる。一定以上の水が流れなくなることで川の環境は悪くなる。アユの遡上も阻害される。清流が損なわれると、流域の観光は大打撃をうける」
猛烈な雨が降れば大水害が発生する
球磨川と川辺川には遊水地がない。これには驚いた。球磨川や川辺川に猛烈な雨が降れば中・下流部で大きな浸水被害が発生する──。これは、流域の状況をみると容易に想像できる。しかし川辺川ダム計画が中止になったあと、国交省や熊本県はなにも手をうたなかった。
人吉市の被災者からこんな話もでているという。
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「蒲島知事が川辺川ダム計画を白紙撤回したとき、堤防かさ上げなどの治水対策を講じてくれると思った。だが知事はなにもしなかった。ダムを中止しただけだった」
“太陽政策”を提言
川辺川ダム建設計画が中止になったあと、田中康夫・元長野県知事はこう提言した。
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「蒲島郁夫知事の川辺川ダム反対表明は大きな一歩と評価している。ただ、あくまで始まりの一歩であり、生半可でダム中止はできない」
「国交省は是が非でもダムを造ろうとしている」
「知事や時の政権が大きく転換を図るしかない。その際、国交省を追い詰めるのでなく、改正河川法をつくった省内の良心を呼び覚ます“太陽政策”が有効だろう」(熊本日日新聞取材班『「脱ダム」のゆくえ─川辺川ダムは問う』角川学芸出版)
三番瀬保全運動は太陽政策を実行している。世論を背景にした行政交渉をねばり強くくりかえすことによって行政を動かしている。
三番瀬保全団体はこの11年間で行政交渉を90回おこなった。これが功を奏し、三番瀬を通る国策の第二東京湾岸道路を27年も阻止している。三番瀬に面する船橋、市川、浦安の3市は、この道路計画に反対もしくは慎重な姿勢を示すようになった。
ところが川辺川ダムが中止になったあと、「ダムによらない治水対策」を国交省や県に実施させる運動は弱かったようだ。行政交渉もあまりおこなわれなかったと聞く。
「ダムによらない総合治水」の推進を
静岡県は二級河川巴川の流域で総合治水事業を地域ぐるみで推進し、流域の水害を激減させている。千葉県も、市川市など一級河川真間川の流域で総合治水事業を推進している。この事業も浸水被害を激減させている。真間川総合治水事業は、住民団体「真間川の桜並木を守る市民の会」のねばりづよい運動によって実現した。河川改修偏重から総合治水に転換させるために「市民の会」がおこなった県交渉は150回を超える。
こうした先進的実例を学び、球磨川流域でも総合治水(流域治水)を推進すれば、被害を軽減できたのではないか。残念でたまらない。
いまからでも遅くない。巴川流域や真間川流域の総合治水事業を学び、ダムによらず降った雨を流域全体で処理する総合治水を球磨川流域でも推進させてほしい。いろいろな方策を提案するだけでは効果がない。国交省や県を動かしてほしい。
(2020年12月)
国宝「青井阿蘇神社」の建物も大きな被害を受けた=人吉市、12月13日撮影
川辺川ダムの水没予定地。五木村の中心地は高台の代替地に移り、水没するかつての中心地
にはキャンプ体験などを楽しめるグランピング施設が並んでいる=2020年12月13日撮影
川辺川ダム建設に伴う代替地。ダムの用地取得は98%完了し、水没予定地の五木村では
移転対象549世帯のうち1世帯を除いてすべてが移転した=2020年12月13日撮影
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- 勝利のカギは世論喚起、幅広い共闘組織、多彩な運動〜三番瀬運動の教訓(中山敏則、2020/10)
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