貴重な森を守った運動の教訓を学ぶ

〜鎌倉の自然を守る連合会と懇談〜







 全国自然保護連合と日本湿地ネットワーク(JAWAN)は2016年11月23日、「鎌倉の自然を守る連合会」と懇談しました。鎌倉広町の森(緑地)を守った運動を学ぶためです。参加者は8人です。


 鎌倉広町の森を守った


 鎌倉広町の森は約60haの丘陵地です。鎌倉市の西南部にあります。
 豊かな生態系を誇る貴重な森を開発から守るため、住民たちは25年にわたってねばりづよく運動をつづけました。
 「市街化区域の緑地を開発から守るのはむずかしい。裁判を起こしても勝てない」といわれています。しかし、住民たちは一致団結して運動の渦を広げ、ついには政治も動かして開発から森を守りました。この歴史的な運動をになったのが「鎌倉の自然を守る連合会」です。
 運動の特徴はこうです。
  • 裁判をおこしても絶対に勝てないことがわかったので、訴訟は選択しなかった。
  • 自治会・町内会を基盤にした超党派の住民運動を展開した。
  • さまざまな活動の中心をになったのは、緑の近くで子育てや生活をしたいと願う女性(主婦)たちだった。
  • 署名活動を旺盛に進め、第1回では6万、第2回では12万、第3回では22万(署名協力)を集めた。(鎌倉市の人口は17万人)
  • 陳情、署名集め、トラスト運動、市民集会、市長選など、多彩な運動をくりひろげた。
  • 地元住民や鎌倉市民などにたいする広報活動をくりひろげ、世論を味方につけた。
  • 鎌倉市長選で「環境自治体の創造」を掲げる候補者を当選させた。
 たいへんすぐれた運動です。参加者からはこんな感想が寄せられました。
 「自治会・町内会を基盤にして住民運動をくりひろげたというのが印象的だった。これはなかなかできることではない。市長選挙で環境保全派の候補を一本化して当選させたことや、22万の署名を集めたこともすごいと思う」
 「鎌倉広町の森の約40haは3社の開発業者に買い占められていた。しかも市街化区域である。その森を住民運動によって守った。連合会のみなさんの運動に感服した」


 住民が主役の運動


 「鎌倉の自然を守る連合会」は裁判による決着を選びませんでした。弁護士に委ねることもしませんでした。大勢の住民が主役となり、世論を味方につけ政治を動かすことによって開発を食い止めるという運動を進めました。
 運動の中心をになったのは、近隣の緑を守りたいと願う女性たちでした。
 連合会の安倍精一会長はこう話してくれました。
 「男性は会議などで理屈を並べることは得意だ。しかし実際の運動、たとえば署名集めは苦手である。地域に根っこがないからだ。男性は、自宅近くの家のご主人の顔を知らない人が多い。知らない人にたいしては署名を頼みづらい。地域の運動を女性たちが支えたのは、主婦の人たちが地域のネットワークをつくっていたからだ。それがさまざまな運動に活かされた。これはすごく大事なことだと思う」
 「署名集めや市民集会、トラスト運動などは数が重要になる。議論だけでそれがうまくいくのならいい。しかし、そうはならない。運動は、最終的には数が重要だ。それを実現してくれたのは女性たちであった」
 そんな女性の一人である小野則子さんはこう語りました。
 「鎌倉駅の前で署名を訴えたとき、最初は抵抗があった。どうやっていいかわからなかった。しかし、声を張りあげているうちにだんだんと慣れていった。多くの署名を集めることもできた。ほかの自治会の地域でも一軒一軒訪ねて署名をお願いした。そういうことをつづけ、他団体からの協力も得て、6万の署名が集まった」
 このような運動をつづけた結果、鎌倉市、神奈川県、国を動かして財政支出を実現しました。都市公園とするために開発事業者から土地が買収されたのです。財政支出は、神奈川県20億円、国20億円、鎌倉市73億円(年賦払)の計113億円です。環境への投資といえるでしょう。
 この運動は「自然や景観をどう守る」のお手本となるものです。





鎌倉広町の緑地を守った人々

全国自然保護連合 事務局 田原廣美

 2016年11月23日9時過ぎ、自然保護運動にかかわっている8人は西鎌倉駅に降り立った。広町緑地保全のとりくみを学ぶためだ。
 広町の人々は、緑地を守るためにやれることは何でもやった。しかも、ねばり強く。1973年、主婦たちは開発の動きを察知し、それを阻止するために動きはじめた。それから29年後の2002年、広町緑地の全面保全を実現した。私はその情熱に心を動かされた。
 鎌倉の自然を守る連合会の会長さんをはじめとする人たちは、次のような話をしてくださった。  開発業者(3社)は広町緑地の土地所有権を持っていた。緑地は市街化区域にあった。だから、開発阻止は不可能に近かった。しかし、広町の人々はあきらめなかった。「裁判闘争では開発を阻止できない」という行政当局(鎌倉市)の助言もあり、「広町の緑地を守るには市民運動しかない」と悟った。
 ここからがすごかった。署名活動、市民集会、住民説明会、市長選挙、トラスト運動、関連先(3事業本社、3事業主力銀行本店、国土交通省、環境省、金融庁、鎌倉市、神奈川県)への直接要請など。あらゆるところへ働きかけた。
 とくに署名のとりくみはきわだっていた。6万人、12万人、22万人と激増させた。これを支えたのは鎌倉の自然を守る連合会だった。連合会は、新鎌倉自治会が中心となり、広町緑地周辺の8つの自治会・町内会で1984年に結成した。
 連合会は、事業者、市、県、国にたいして広町緑地の重要性をねばり強く訴えつづけた。そして2002年、ついに鎌倉市、県、国が開発業者から113億円で買収することが決まった。広町緑地は守り抜かれた。
 私たちは、管理事務所での話し合いのあと、いまは大部分が都市林に指定された広町緑地(約60ha)を案内していただいた。田圃あり畑あり小川あり湿地ありウルシ林あり、見事な自然が保全されていた。
 周辺に住む人たちは、この緑地があることでどんなにか心を癒(いや)されることだろう。自宅のすぐ近くにこんな緑地があったらどんなに幸せだろうと思った。いちど開発で喪(うしな)われてしまった自然は、決して元には戻せない。広町の人たちは未来の世代のことまで考えて、必死でこの緑地を守ったのだろう。





自治会を基盤にした住民運動の成果

日本湿地ネットワーク(JAWAN) 共同代表 牛野くみ子

 2016年11月23日、鎌倉広町の森を守った運動の話をうかがうため8人で西鎌倉に向かいました。出迎えてくれたのは「鎌倉の自然を守る会」の安倍精一会長さんなど4人です。
 鎌倉広町の森を開発から守った運動のひとつの特徴は、「緑を守りたい」という住民の願望が強かったことです。だから絶対にあきらめない。このことが25年におよぶ運動を成功させ、緑深い森を守ったとのことです。
 運動のはじめは、森近くの住民、とくに主婦が開発の動きを察知し、自治会を基盤にして、緑地を残そうとアンケートや署名をはじめたことです。そのような運動を、時代を追って話していただきました。
 話が進むうちに、三番瀬や谷津干潟でも同じようなことをしてきたな、と思いだしました。鎌倉広町では当初、鎌倉市長は「緑を守る」と公言していました。しかし、市長はだんだんと開発側に傾いていきました。そのため、住民運動を進めるなかで緑を保全する市長候補を一本化して当選させました。
 三番瀬では、埋め立て反対運動の高まりや、30万署名に示された県民の声が埋め立て計画を白紙撤回させました。谷津干潟では、干潟を埋め立てて公共施設をつくると公言していた習志野市長が引退しました。そのあとの市長立候補者は全員が谷津干潟保全を公約したので谷津干潟は残りました。自治体の長を交代させるなど、住民の結束力の強さが運動を成功させたのです。  近ごろは裁判に持ち込むことが目立ちます。これは開発業者や行政側の思うつぼになりかねません。訴訟では勝てないことを私たちはいろいろなところでみています。鎌倉では、市の担当者から「裁判を起こしても勝てない」「行政まかせではだめだ」「住民運動しかない」と言われ、勝利を得ました。鎌倉市はすごいな、と思いました。
 懇談会のあと、広町の森(緑地)を散策しました。初夏にはゲンジボタルやヘイケボタルが見られるそうです。ホタルが食するというカワニナもいました。ウルシの樹皮をかきとり樹液を以前採られたウルシ林がありました。無残な姿でした。人はいつでもなにかを犠牲にして生きているのです。60haの森の周囲は住宅地です。開発を止め、森を残したことは、周辺住民だけでなく鎌倉を訪れる人にも安らぎを与えます。すばらしい住民運動の成果をみせていただきました。










鎌倉広町の森を守った運動の教訓を聞く=2016年11月23日



「鎌倉の自然を守る連合会」のみなさんと記念写真



鎌倉広町の森を見学



鎌倉の自然を守る連合会著『鎌倉広町の森はかくて守られた』(港の人、2600円+税)










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