豊島産廃不法投棄の現場から学ぶ

〜不屈の住民運動に驚嘆〜







 瀬戸内海沿岸の市民団体で構成する「環瀬戸内海会議」は6月21、22日、瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま)と小豆島で第25回総会と現地視察をおこないました。参加者は47人です。

 21日は、日本最大級といわれる産廃不法投棄(「豊島事件」)の現場を訪れました。不法投棄の全貌や長きにわたる住民運動を「廃棄物対策豊島住民会議」の砂川三男議長がくわしく話してくれました。

 産廃投棄に反対する運動は、香川県が産廃処理場建設を許可した1975年の直後からはじまりました。以来、豊島の住民のみなさんは血のにじむような苦闘をつづけました。延べ7000回を超える行動の結果、2000年6月に調停が成立しました。いまは不法投棄物の撤去などがつづけられています。そんな苦闘の歴史や住民のみなさんの思いなどをいろいろと教えてもらいました。感動的でした。話を聞きながら涙を流した人もいました。

 夜の懇親会には「住民会議」の人たちが10人参加してくれました。

 翌22日は、豊島で総会を開いたあと小豆島へ渡り、新内海(うちのみ)ダムと、日本三大渓谷の名勝寒霞渓(かんかけい)を見学しました。新内海ダムをめぐっては、地元の「寒霞渓の自然を守る連合会」が事業認定取り消しを求めて訴訟を起こしています。連合会の山西克明代表がダムの問題点や連合会のとりくみを話してくれました。



不屈の住民運動に驚嘆



 豊島(てしま)の産廃不法投棄現地視察で衝撃を受けたのは、不法投棄のすさまじさと豊島住民の反対運動です。

 事の発端は1975年12月、豊島総合観光開発(株)が有害産業廃棄物処理許可申請を香川県に出したことです。この事業者は、土砂採取や埋め立てなどをめぐり、違法行為を繰り返していました。暴力事件も引き起こしていました。県が産廃処理を許可すると、自然環境や生活環境が破壊され、農漁業に深刻な影響をおよぼすことが危惧(きぐ)されます。住民は、豊島の有権者のほぼ全員となる1425人から反対署名を集め、知事と県議会に提出しました。

 しかし、豊島を訪れた前川忠夫県知事(当時)はこう言いました。「(反対運動は)住民のエゴであり、事業者いじめである。豊島の海は青く、空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」。この発言に強く反発した住民は1977年2月に「産業廃棄物持ち込み絶対反対豊島住民会議」を結成し、反対運動を繰り広げました。ところが翌1978年2月、県は「ミミズの養殖」として許可しました。

 住民が予想していたとおり、業者は膨大な量の産廃を豊島に不法に持ち込みつづけ、野焼きして埋め立てました。県は、操業停止を訴える住民の声を無視し、業者の違法行為に加担したのです。1991年1月、兵庫県警の摘発によって業者が逮捕されました。しかし、不法投棄された産廃は残されたままです。

 住民は1993年11月、違法な実態を知りながら適切な対策を講じなかった香川県などを相手取り、謝罪と廃棄物撤去を求める公害調停を申し立てました。住民のねばり強い運動の結果、2000年6月に公害調停が成立しました。香川県知事は豊島住民に謝罪するとともに、不法投棄物の無害化撤去を約束しました。その後、無害化撤去事業がつづけられています。90万トン余の産廃不法投棄物と汚染土壌を760億円かけて処理する、世界最大の原状回復事業です。

 調停成立までに豊島住民が起こした行動は7000回を超えます。「県はだました責任を取れ」という幟(のぼり)を手に毎日交代で県庁前に立ちました。世論と県民の支持を得るため、県内5市38町を歩いて回ったり、県下100カ所で豊島問題の座談会を開いたりしました。さらに汚染された土地を住民で買い取り、無害化撤去事業を監視しつづけています。住民が負担した費用は1億6000万円におよびます。

 豊島住民は、一人ひとりが行動を起こすことによって、自分たちが直面する問題を解決しました。日本の民衆運動史に残る金字塔です。「こうすれば勝てる」ということも教えています。驚嘆させられました。
(中山)








豊島の産廃不法投棄現場ではいまも投棄物の掘削と撤去などがつづいている



不法投棄の全貌や住民運動の歴史を話す「廃棄物対策豊島住民会議」の
砂川三男議長(こちら向き)=こころ資料館(豊島住民資料館)で



懇親会に出席した「廃棄物対策豊島住民会議」のみなさん







新内海ダムの堰堤からダム湖と寒霞渓(後方の山)を見る






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