■「自然と環境を守る全国交流会」参加団体


千葉の干潟を守る会









■活動の概要

 かつて沖合2〜4km、延長70〜80kmの規模を誇った東京湾東部の広大な干潟も、60〜70年代にかけて、次々と埋め立てられ、千葉県下で残るのは盤洲(ばんず)干潟・富津洲・谷津干潟・三番瀬のみと減少の一途をたどってきた。
 本会は、そうした状況下の1971年、習志野市袖ヶ浦団地前面と幕張海岸の干潟をさらに埋め立てるという計画に危機感を募らせた野鳥の会の若手メンバーを中心に、「いのち豊かな東京湾を子孫に残す」ことを目的に結成され、今年(2011年)3月28日、40周年を迎えた。
 当初わずか17名で発足した会も、その後の活発な活動により、会員の範囲は習志野・船橋・市川・千葉各市を中心に全国に及び、さらに地元一般住民の支持も拡大していった。
 現在もなお、当会のシンボルマークとなっている通称“寄り目のハゲ坊主”は、この時期、街角や団地の窓に掲げられたポスターが基になっており、地域住民と一体の活発な自然保護活動の象徴でもあった。76年「全国干潟シンポジウム」のシンボルマークとしても使われている。
袖ヶ浦・若松両団地住民からの、そうした運動の盛り上がりにもかかわらず、結局、習志野・幕張の埋め立ては強行され、湾岸道路も開通した。
 その後、埋め立て地には、幕張メッセ、住宅団地、大小の工場や倉庫、配送センター、汚水・ゴミ処理場・墓地・埠頭などが建設された。
しかし、そうした状況にもめげずに、埋め立て反対の署名、各種の勉強会・観察会・写真パネル展示・シンポジウム等を通じて、干潟・浅瀬の重要性を広く訴え続けた結果、かつて地元の人たちからも「臭いから埋め立てよ」と言われた谷津干潟については、77年の鳥獣保護区指定を経て、93年にはラムサール条約登録湿地の指定を獲得した。
 会が提唱してきた「谷津干潟自然教育園プラン」はその後、習志野市の姿勢転換を呼び起こし、現在の谷津干潟観察センターの形で実現をみている。
 こうした一連の活動が評価され、1998年に「朝日海の貢献賞」を受賞した。
 近年は、周知のように、その後結成された「三番瀬を守る署名ネットワーク」「三番瀬を守る会」「市川緑の市民フォーラム」「千葉県自然保護連合」等の団体と連携し、協力体制をとりながら、署名活動、国や県・関係市等に対する意見書・要望等の提出、シンポジウムや勉強会の開催を通じて、三番瀬のラムサール条約登録湿地指定を目指しての活動を続けている。〔Y〕
(2011年9月)





〔参考〕

 『私たちの東京湾』第7号 パネル特集号より
   (習志野の埋立と公害に反対する会発行、1972年12月22日)


ボク《寄り目のハゲ坊主》の願い

本 追  満




   

◆ボクの名前

 ボクの名はむずかしくいえば〈埋め立て反対意思表示パネル〉。でも、団地のお子さんたちはボクの顔を見て、ズバリ『より目のハゲ坊主』と呼んでいます。これはかなりボクの自尊心を傷つける言葉ですが、まあ、ニックネームと解釈して有難くちょうだいしておきます。

◆ボクの図柄

 ボクはもちろん、子どもです。埋め立てとそこから予想される公害で、まっさきにおびやかされるのは、まだ成長しきっていない子どもたちの健康です。ボクを作り、ボクを窓に出すようにお願いして回っているお母さんたちは、何よりも子どもの命を守りたいと心から願っています。ボクはそんな願いから生まれた子どもなのです。

◆ボクの配色

 ブルーは、いま壊されつつあるカケガイのない海の色です。ブルーは、もと海だったところに工場や湾岸道路ができたら、もうここでは見ることのできなくなるかもしれない青空の色です。そうならないうちに環境破壊の赤信号を青にヶ用という呼びかけの色でもあります。

◆ボクのスローガン

 ボクの頭の上の四つの文字。なぜ『公害反対』でなく『埋立反対』かって聞くひとがタクサンいます。これらについてはテレビのCMでいいことを言っていますね。「クサイ匂いはモトから断たなきゃダメ」って。これトイレ脱臭剤の宣伝ですが、『埋立反対』ってのはズバリそういう意味、公害が起きてからではもう遅いのです。

◆ボクの怒り

 ボクの口はグッとへの字に結ばれています。『ハゲ坊主』と呼ばれてスネている訳じゃありません。ボク怒っているんです。もちろん「海を埋めないで! 私たちの健康的な暮らしをそこねないで!」と叫ぶお母さんや子どもの気持を無視して、強引に開発を進めようとする、国や県や市のエライおじさんたちに対してです。

◆ボクの願い

 でもボクはパネル。大きな声を立てることはできません。ただ静かに怒りをあらわすだけです。しかし、タクサンの人の静かな怒りが最も怖いことをエライおじさんたちはよく知っています。
 だから、お父さん・お母さん、あなたとお子さんのために、いますぐボクを窓に出してください。ボクの仲間がふえることは、県知事さんや市長さんが、考え直さざるをえないような力が広がってゆくことになるのです。(筆者はボクをデザインした人)











習志野市の袖ヶ浦団地では3000戸の窓に「寄り目のハゲ坊主」が吊された(1972年)










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