深夜に真実を届けるNNNドキュメント


田原廣美








ドキュメントで影法師を知った

 日本テレビのNNNドキュメントを見たのが、すべての始まりだった。タイトルは「花は咲けども 故郷は…」。
 2015年11月29日深夜0時過ぎのことだ。このドキュメントで、私は「影法師」というアマチュアフォークグループの存在を初めて知った。山形県長井市で農業を生業(なりわい)とする2人を中心に結成された4人のグループだ。
 農業の遠藤孝太郎さん(64)がギターと宣伝を担当。やはり農業の横澤芳一(よしいち)さん(63)が作曲とボーカルを担当。医薬品会社を定年退職した青木文雄さん(63)が作詞とベースを担当。病院で検査技師をしている船山正哲(まさあき)さん(58)がマンドリンを担当。この「影法師」は、地方で暮らす者が感じる矛盾や怒りを40年以上も歌い続けてきた。
 ドキュメントはこんなナレーションから始まる。
「復興支援ソング『花は咲く』は、ガレキだらけになった被災地に花は咲き、悲しみの向こう側に未来が見えると歌います。そんな希望の象徴でもある被災地の花を、別の視点から歌った曲があります。タイトルは『花は咲けども』。影法師が原発事故への怒りをぶつけた歌。そこには希望とはほど遠い被災地の現実がありました」
 私は、このドキュメントに一気に引き込まれた。歌詞はこうだ。
 ドキュメントは、この歌が生まれるまでの経緯と被災地で歌う心境とを丹念に撮っていた。
 2015年11月、福島県伊達市でこの歌が初めて歌われた。飯舘村の97世帯150人が避難生活を送っている仮設だ。影法師は大きな葛藤を抱えていた。
「放射能汚染で人が住めないという前提で作られた歌が、被災した人々をかえって傷つけてしまうのではないか……」
でも、その心配は杞憂だった。コンサートの後、村人たちは言った。
「実際きれいごとじゃない。(原発事故の)毒のために帰れないわけだから……」
「良かったです。村を思い出しながら泣きました」
 影法師の面々にも、自分たちの思いが伝わったという、安堵の色があった。


影法師コンサートと大井千加子さん

   私はドキュメントを見終わった途端に決めた。コンサートを埼玉でやろう、と。翌日、すぐに影法師に電話を入れた。遠藤さんは即座に承諾してくれた。国会での演奏のため上京する3月5日(土)ならOKだと。
 会場は川越市のJUNホールになったが、当日なんと、東北新幹線に飛び乗り福島県から来た女性がいた。南相馬市で介護福祉士をしている大井千加子さんである。コンサートの後、「福島を忘れない人が大勢いた」と、とても喜んでくれた。そして、帰り際に言われた。「私の故郷に来てください」と。
 私は2016年の6月1日、全国自然保護連合の事務局長の中山さんと福島に発った。私たちは大井さんの案内で現地を訪れ、津波のすさまじさと原発事故の罪深さを改めて実感した。中山さんと私は、そのリポートを『全国自然通信』129号に載せた。「大津波と原発事故の被災地見学」と「3・11から5年後の福島」である。
 今年の2月18日だった。千葉県の3団体が合同で「3・11から6年 津波と原発事故の恐ろしさを語る」という講演会を船橋市で開いた。講師は大井千加子さんである。それは感動的で、涙なしには聞けない話だった。中山さんは、講演要旨10ページを含め、なんと14ページにわたって千葉県自然保護連合の『自然通信ちば』139号に載せた。それが「福島第一原発30キロ圏内の真実」と「大井千加子さんの講演を聞いて」である。
 そして3月4日(土)、私は再びJUNホールで『影法師』のコンサートを開催した。満員だった。終了後、「来年も是非やってください」と大勢の参加者に言われた。1週間後、私は影法師に連絡をとった。コンサートは来年の3月10日に決まった。
 深夜に毎週放映されるNNNドキュメント。常に国家権力と対峙し、市民の立場から番組を創っている。私が信頼しているメディアの一つである。
(2017年4月)







★関連ページ

このページの頭にもどります
前ページにもどります

[トップページ]  [全国自然保護連合とは]  [加盟団体一覧]  [報告・主張]  [リンク]  [決議・意見書]  [出版物]  [自然通信]