祝島と田ノ浦

田原廣美




 山口県上関町(かみのせきちよう)の祝島(いわいしま)について原稿を書いたのが1月下旬だった。そして、その後の3月11日、福島第1原発事故が起こった。正直なところ、東日本全域が放射能に汚染されるという、未曾有の大事故になるとは思わなかった。

 私は上関原発はどうなっているのか気になった。三度(みたび)、祝島に向かった。定期船が出る柳井港に着くと、今東京で大学受験の勉強中だというK君に出合った。原発のことが気になり来たのだという。
 当日4月7日は、強風と雨で海は大荒れだった。船は上下に激しく揺れ、座席からほうり出されそうなくらいだった。初めての船で、K君は真っ青になり嘔吐(おうと)した。やっとのことで祝島に着いたが、その日は食事もできず寝ていたという。
 翌日の8日も雨だった。しかし、この日はめでたいことがあった。島でただ一人中学生になった〈みさきちゃん〉の入学式だった。急病人の搬送など緊急の時に出す、ヤンマーという小型船がやってきた。〈みさきちゃん〉はうれしいのか不安なのか、船に入ったり船の外に出たり、そわそわしていた。12時過ぎ、校長先生とお父さんに付き添われた〈みさきちゃん〉を乗せて、船は雨に煙る光市の方へ向けて発っていった。
 この後、島のMさんからこう言われた。
「4月9日から、定期船の出発時間が15分遅れるんよ」
 私は即座に尋ねた。
「なぜですか?」
 Mさんはにやりと笑いながら言った。
「〈みさきちゃん〉の通学時間に合わせよるんよ」
 祝島のあたたかさを、また見つけた気がした。

 9日の朝は、風も凪(な)いで海は穏やかだった。「これなら、定期船も上関原発が計画されている四代(しだい)に寄ってくれるだろう」と、ほっとした。これまで、何度となく四大の田ノ浦に行こうとしたのだが、なかなか果たせなかったからだ。
 6時30分の定期船で、K君と私は四代へ行った。雑貨店のおばさんに教えてもらった細くて急な坂道を上って行くと、果たして広い道に出た。そこを左に折れて少し歩いたところで、後ろから車が近づいてきた。ガードマンだった。「わらび採りですか?」
 そんなわけないだろうと内心思ったが、「そんなもんです」と答えてやった。
 途中に、中国電力の〈立入禁止〉の立て看がいくつもあった。さらに30分ほど歩くと、道が海辺の方へ下降し、立ち木の問から中電の工事現場とおぼしきものが見えた。そして、右側には、原発反対の青年たちが詰めているというログハウスがあった。

 中電の鉄パイプのしきりに沿って降りていくと、浜辺に出た。カヤックが5、6艘ほど置いてあり、ブルーシートで作った原発反対の職を立てた小屋があった。横には立て札があり、こう書かれていた。
「これは法律です! 漁業権者への〈同意と補償〉が無ければ着工できない──原発いらん!山口ネットワーク」
 中電の工事現場や団結小屋や田ノ浦からの祝島などを撮り、砂浜でぼーっとしていると、ガードマン一人と中電社員の二人がやってきた。「浜に入っちゃいけないんですけどね」とガードマン。
「ああ、そうですか。知らなかったもんで」
「このセメントの上まではいいんですが……」
「わかりました」
「今日はわらび採りですか?」
「ええ、3本しか採れませんでしたかね」
 それから30分ほどガードマンとの世間話が続いた。「天気のいい日には田ノ浦から四国と九州が見えますよ」とか、なかなか友好的だった。ところが、K君がいきなり「工事はいつ始まるんですか?」と尋ねた途端、あわてて言った。「そのことについてはノーコメント!」
 中電の二人は無言だったが、その顔は険しかった。彼らが去った後、K君は言った。 「なんで中電の人が答えないんですかね?」

 祝島を眺めながら昼食を済ませ、ログハウスを通り過ぎようとした時だった。K君が興奮して言った。「太陽光パネルがありますよ」
 何と五十畳敷きほどの広さのパネルが設置され、電線はログハウスに引き込まれていた。そこには、「自然エネルギー以外の世話には、絶対ならないぞ」という強い決意が読み取れた。

 四代の港にもどってから定期船が来るまで、何と3時間近くあった。K君はいつの問にか、地元の消防団の人たちと話していた。
「ぼくは原発には反対なんですけど、おじさんたちはどうなんですか?」
「ここには以前400人近くも住んどったのに、今じゃ130人ほどしかおらん。原発がもっと早くできちょれば、今はもっと活気のある村になっとったのにの」
 消防団のおじさんたちの一人が言った。
 私は原発建設にはもちろん反対だ。しかし、農業・漁業・林業をおろそかにし、地方を経済的に追い詰め、原発を日本中に建設してきた国を腹立たしく思った。国は、地方のかけがえのない自然とそこに住む人々の心を、交付金という国民の税金で買収してきた。

 中国電力は、福島第1原発事故後の3月、上関町民に次のような主旨の文書を配った。「東北大地震以上の揺れと津波を想定した、安全な原発を建設します。上関原発は、電力の安定供給や地球温暖化防止のためにも必要な電源であり、建設計画を進める方針に変わりはありません」と。

(2011年5月)












上関原発建設予定地の田ノ浦海岸



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