青秋林道はなぜ止まったのか

〜白神山地の保護、舞台裏の真相〜

白神逍遙の会 代表 滝口 真(仙台市)





 青森県と秋田県境に広がる白神山地ブナ原生林。全体の面積は13万ヘクタールで、そのうち中心部の1.7万ヘクタールが核心地域とされた。管理の在り方について青森県は「届け出制」で、秋田県は「入山禁止」と異なっている。筆者は前号で秋田県側の入山禁止を見直し、青森県側と同様の「届け出制」に統一するよう提案した。今号ではその理由を、青秋林道を中止させた保護運動にさかのぼって、改めて述べたい。

 青秋林道は青森県の西目屋村(にしめやむら)から、白神山地を縦断して秋田県八峰町を全長28キロで結ぶ広域基幹林道(事業主体は青森、秋田両県。林野庁の補助事業)として計画された。自然保護運動も、青森県内と秋田県内で、それぞれ別に始まった。決して一緒に始まったのではないことを、ここで指摘しておきたい。運動は、はじめから大きな盛り上がりを見せた訳ではない。弘前市や青森市で写真展や講演会、自然観察会など地道な運動を続けた。しかし、林道中止に至るほどの成果を挙げることなど、誰も予想できなかったことだった。

 クライマックスを迎えたのは1987年秋、林道中止を求め、場所を地元の青森県鰺ケ沢(あじがさわ)町に移し、署名運動を展開した時であった。林道工事は、県境を西から東へ進み、鰺ケ沢町の赤石川の源流部に差しかかろうとしていた。赤石川源流は、町の人々にとって「命の水」であった。田畑を潤し、名物の金アユを育て、サケマスの孵化場の水に利用された。水は河口を出て漁場に栄養分を運び、漁業を支えていた。しかし、源流部に工事の「メス」が入るとは、住民には全く知らされていなかった。弘前市の根深誠さん(登山家)らが反対署名を呼び掛け、地域の公民館など19カ所で連日連夜開催、反対集会を開催した。住民はその時になって初めて赤石川の源流部で工事が行われようとしているのを知った。「なぜ今まで知らせなかったのか」と住民は怒った。反対集会を開いた公民館、地域センターの場で、高齢になったお爺ちゃん、農家のおばちゃん、村に残る若者たちも次々と反対署名したのだった。

 赤石川は、町民の命を支える水であった。それ以外に、住民には過去の記憶が、林道工事に「待った」をかける理由があった。1945年3月、太平洋戦争末期の出来事だった。赤石川の上流で、大雪が自然のダムを造り、雪崩で決壊した。一夜にして洪水で87人が犠牲になるという大惨事があった。戦争中のことで、全国ニュースにもならなかったが、被災者の子孫が、鰺ケ沢町の中流域に大勢住んでいたのである。一つの集落が全滅。今も被災した集落の跡地を見下ろすように、惨事を伝える高さ2メートル余りの「遭難者慰霊碑」が立っている。その様子を子から孫へと、人々はとつとつと語り継いでいた。弘前の自然保護団体の人たちが「赤石川が危ない」と訴えると、それが人々の記憶を呼び戻したのであった。

1カ月間の限定された署名期間で、反対署名は全国から1万3202通寄せられた。決定的だったのはその地元住民の有権者の半数に迫る1024通の署名が集まったことだった。これを受けて当時の青森県知事・北村正哉氏が、英断をもって「青秋林道の中止」を決断した。

 私はかつて地方紙記者をしていたことは前号で述べた。現職時代の34年間、白神山地の問題に取り組んだ。青森市で勤務していた当時、私は青森県庁の記者クラブに所属し、毎日、知事の後を追ってさまざまな記事を書いていた。核燃料サイクル基地問題、青函トンネル、東北新幹線の盛岡以北の延伸など難問山積であった。青秋林道の反対運動についても幾度も直接、知事の考えを聴き、取材した。あるいは自宅を1人で訪ね、鰺ケ沢町で行われている反対運動の様子を知事に伝え、情報提供した。北村知事は会津藩士の末裔(まつえい)で、一本気の性格の人物だった。常に現実的に物を考える政治家であった。一対一で話した時、私はこう言われた。

 「俺は自然保護団体に理解を示そうという気はない。俺が考えているのは常に、青森県民の所得が少しでも上がり、生活が良くなるにはどうすればいいか、ということだ。だから核燃サイクル基地を推進し、東北新幹線の青森延伸を訴えている。しかしだな…、青秋林道は、どうも違う。西目屋村と秋田の能代の方を結ぼうとしたって、それは大変な距離だ。どれだけメリットがあるのか。あんな人も車も通らないような奥深い山の中に道路を通して、どれだけの利益があるのか。俺も、以前から疑問は持っていたんだよ」

 この発想から、青秋林道の中止を決断したのだった。つまり北村知事が青秋林道中止を決断した理由は、自然保護運動のへの理解に基づくものではない。「税金の無駄遣いをしてまであの林道を造る意味はない」ということであった。青森県知事の決断が、最後まで林道建設を推進しようとしていた秋田県の佐々木喜久治知事を断念させ、林野庁も手を引かざるを得なくなった。青秋林道建設計画の断念、白神山地のブナ原生林保護は、戦後史に残る住民運動の大きな勝利であった。

 青秋林道中止から白神山地ブナ原生林の保護、そして世界遺産の登録と歴史は続く。しかし、原点は「青秋林道の中止」にある。そこには、秋田県側の言うような「入山禁止」の発想は、全くない。「入山禁止」を持ち出したのは秋田営林局(現東北森林管理局)の計画課長である橋岡伸守氏である。青秋林道中止が決まってから、中央人事で秋田に転勤してきた人物である。青秋林道の反対運動とは、何の関係もない。後のことになるが、私はこの人物に会い、一度だけだが直接取材したことがある。「あなたは、反対運動から何を学んだのか」と問うても、まるで話がかみ合わなかった。「命の水源地を守れ!」と自然保護団体の訴えに呼応して署名、林道を中止に追い込んだ鰺ケ沢町の住民の「意思」など分かるわけがなかった。無理からぬことである。その頃、東北にはいなかったのだから。「入山禁止」と、青秋林道を中止させた住民運動は、全く関係がない。

くだんの橋岡伸守氏は後に、独禁法違反で東京地検に逮捕された。今は何でもインターネットで検索する時代である。読者も、この人物の名前をネットに打って見てほしい。どんな事件で、なぜ逮捕されたのか、出ているから。

 米国大統領になったトランプ氏は「悪いことをする移民がいるから、○、○、○国の移民は入れない」と言っている。私はこのニュースを見て、白神山地の「入山禁止」の発想と同じだと思った。「悪いことをする人間がいるから、山に人間は入れない」と…。いつの時代も、確かに悪い人間はいる。「山に入る人は、マナーを守って!」と呼び掛けても、守る人が100パーセントになることはないだろう。しかし、トランプ大統領のように「壁」を造ってまで移民を入れない、という考えでいいのだろうか。私はもう少し、人間というものを信じてほしいと思う。

(青秋林道の中止、白神山地保護運動については『新・白神山地 森は蘇るか』緑風出版、を参照されたい)

(2017年4月)














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