■第7回くまもり東京シンポジウムの講演(要旨)

  森を残し、全生物と共存しなければ

  人間も生き残れない


一般財団法人日本熊森協会 会長 森山まり子さん







どうしたら人類が生き残れるか

 日本熊森協会は、現代生態学が出した結論――森を残し、全生物と共存しなければ人間も生き残れない――に基づいて、森や野生生物の保護活動に全力で取り組んでいる実践自然保護団体であることを、はじめにみんなで再確認しておきたい。人間は、今や驚異的に発達した科学技術の力によって、全地球を支配するに至った。しかし、この大地は人間だけのものではないのだ。すべての生き物のためにある。しかも、この世にいなくてよい生き物はいない。よって、すべての生き物の生命と生存が、人間によって最大限保証・尊重されねばならない。そういう国をつくるには、人間さえよければいいという今の西欧化(=近代化)された国の政策を、根本から変えねばならない。そうでなければ人間も生き残れなくなる。このことは、もう科学的に証明されているのである。

 私たちは1997年に、どうしたら今後も人類が生き残れるかという壮大な使命を担って活動を開始した。2006年にはNPO法人奥山保全トラストを設立し、奥山のナショナル・トラスト活動もはじめた。次々と広大な原生林を買い取り、未来永劫に手つかずで保全している。

 日本熊森協会は、はじめは兵庫県を中心に西日本で活動していたが、会設立10年目の2007年、国の流れを変えるためには首都のみなさんに訴えねばならないと思うようになった。国を動かすには、首都からも声が上がらねばならないからだ。そのために東京でシンポジウムを持つことにした。

 第1回目のくまもり東京シンポジウムは、わたしたちと自然観や生物観を異にする野生生物保護管理派の研究者たちがよく使う東大の弥生講堂で開いた。集まってくださった方は370名、定員300名の会場は超満員だった。東大の会場係の方が、「シンポジウムにこんなに人が集まるなんて」と、ビックリされていた。その後、毎年、東京の各大学を回ってシンポジウムを開催してきた。第3回の早稲田大学の時は、500名もの方が集まってくださった。今年は、ここ、お茶の水女子大学だ。いつも大学を会場にしているのは、大学生に参加してもらいたいからだ。


今、日本社会は危険な状態

 最近は、シンポジウムを開いても人があまり集まらなくなった。本日の参加者は110名と聞いている。日本熊森協会のシンポだけかと思っていたら、そうではなかった。いろいろな自然保護活動をやっている人に聞くと、みんな同じことを言う。「人が集まらない」「人が動かない」」「集まるのは年配者ばかり。若者たちは何をしているんだろう」という話になる。

 日本社会は危険な方向に進んでいると思う。2012年ぐらいから、自然保護の集会に人が集まらなくなった。なぜなのか。それには3・11の福島原発事故とその後の政府の対応が大きく影響していると思う。原発事故はいまだに解決不能である。一方で、日本政府は海外に原発を売ったり、国内の原発を再稼働させたりする方向に動いている。「命とお金のどっちが大事か」と聞かれると、命のほうが大事にきまっているのに、国民は、「わからない」と答える人が多い。国民は、もう何が何だかわからなくなり、思考停止に陥ってしまっているのではないか。


メディアがおかしい

 「メディアは最高の国家権力である」と言った人がいるが、そのとおりだと思う。社会があまりにも複雑になった今、国民は報道によってしか情報を得られない。正確な情報、多角的な情報が必要だ。しかし、この国のメディアは、今、めちゃくちゃ変になってきた。一方的な情報だけを流し、メディアが国民を洗脳するのだ。何年か前は「民主党、民主党、民主党」と煽(あお)り立てた。そうしたらこんどは「アベノミクス、アベノミクス、アベノミクス」とやっている。それに国民がふりまわされている。

 最近、メディアは国家権力とぴったりとくっつきだした。一方的な情報、つまり行政側の情報しか流さなくなった。

 今年、兵庫県でこれまでにクマが29頭も有害捕殺された。大変な事態だ。兵庫県のクマは絶滅危惧種なのだ。なのに、兵庫県民は一人も声を上げない。なぜなら、メディアがまったく報道しなくなったからだ。

 兵庫県でいちばん大きな新聞社に「どうしてクマ捕殺の実態を、以前のように報道しないのか」と聞いた。責任者の答えは、「そのような報道は県民に必要ないと判断した」だった。  クマ捕殺ニュースを流せば、熊森がとんでくる。県民が騒ぐ。行政にとって一番嫌なことだ。この日、シカ肉を食べようという集まりは12人が参加しただけなのに、写真付きの大きな記事になっていた。行政の方針に合うからだろう。

 今年10月末までに殺されたクマは、全国で3400頭を超えている。大変な数だ。2004年、2006年、2010年は、山の実りゼロという異常年で、食料を求めて山から出て来たクマたちが大量に捕殺された。このときは、まだ、メディアがかなり報道した。テレビをちょっとつけると、クマが撃ち殺される場面がニュースで連日放映された。そのたびに市井の人々は胸を痛め、「いったいどうなっているの? クマを殺さない解決法はないのか」ということになって、日本熊森協会の支部が各地に誕生していった。

 ところが今は、メディアが報道しなくなったので、野生動物たちがこの国の奥地で無残にも大量補殺されているというのに、もはや国民はまったく知らない。弱者の側に立ち真実を伝えるという本来の使命を捨てた今のメディアは、国民と国をだめにしてしまうだろう。メディアの変節責任は、あまりにも大きい。


希望を失わずに

 いまは衆院選の最中。日本熊森協会は全立候補者に2点について、アンケートをとっている。当選の暁には、@「奥山自然林復元にご協力いただけますか」と、A「リニア中央新幹線南アルプス貫通を見直していただけますか」というものだ。

 共産党の立候補者は、どの候補者もリニアの問題点をよく知っておられた。みなさん同じような回答だった。党内でリニア問題について同じ資料を基に学習されているのだろうと思う。しかし、それ以外の立候補者は、「南アルプスをリニアが貫通することによってどんなマイナス点があるのか、知識がないため答えられません」という回答がほとんどだった。

 リニアは、東京から大阪までの長い距離、日本列島の横っ腹に穴をあけて、前代未聞、とりかえしのつかない大自然破壊を行うのだ。これから国政に取り組もうという人たちが、リニアにどんな問題点があるのか知らないということは、いかに一般メディアが推進情報のみで、大変な問題点を伝えていないかということのあらわれでもある。この国のメディアはうまく民主的には見せてはいるが、実は北朝鮮と変わりがないのではないかと私は感じている。

 一般国民は利権とかかわりあいがないため、人間としての本来の正義感や良心で判断することができる。しかし、地元の人たちの反対の声をはじめ全情報を流してくれないと、国民は正しい判断ができない。声をあげられない。行動も起こせない。

 日本にはもうジャーナリストはいない。そんな大変な国になってしまっていることを、私たちは忘れてはならない。今後は、報道を丸呑みにしてはならない。  こんな時代だが、みなさん、逃げたらだめだ。私はいま、「逃げない勇気」という文章を書いている。逃げないでほしい。希望を失わずに、親から子、子から孫へ、自然を守る運動を続け広げることが大事だ。

 私たちは森や動物の現状を知り、胸を痛めて立ち上がった。逃げるということは自分にウソをつくことになる。たったひとりしかいない自分にウソをつく。そんな生き方をして心が晴れやかになるはずはない。私たちには、おかしいと思うことがある。おかしいと思う者が声を上げないとだめだ。

 わからなければ、現地にいって現場を見てほしい。私がリニア問題に声をあげようと思ったのは、山梨県のリニアの工事現場に行ったからだ。現地に行くと「エッ!」となる。話で聞いたことと違う理解の仕方になる。現場は人間の心を突き動かすものすごい何かをもっている。だから、とにかく現場に行ってほしい。

 ここにお集まりのみなさんは、「弱者が苦しんでいるのを見ると、知らんぷりできない」、そういう人ばかりである。しかし、一人の力は弱い。とにかく、みんなで協力しなければならない。そのためには、明るくて人もうらやむ日本一仲のよい団体でなければならない。


拡大造林は大失敗

 日本熊森協会本部の今年度の活動を報告したい。

 日本の山は、今、たいへんなことになっている。拡大造林という国策で、戦後、1000万haもの人工林を奥山につくってしまった。私たちは、拡大造林は失敗だったと断言している。はっきり言わないと人々に伝わらないから、諸悪の根源は拡大造林であると私たちはどこでもはっきり言う。ただし、こんなことをしたのは全国民の責任なので、他者を責めたりはしない。

 今年、ある人が書いた論文を読んでいたら、「縮小造林」という言葉がでてきた。人工林をたくさんつくりすぎたので縮小しよう、そして、「広葉樹林をrestore(リストア)しよう」と書いてあった。「restore」って何かと思ったら、「復元」だそうだ。

 ならば、そんなことは、日本熊森協会が22年前から声を大にして言ってきたことである。そういう問題を、論文を書く人たちがやっととりあげだしたかと思うと感無量である。

 その人工林だが、もう奥山のてっぺんまでスギで埋まっている。ところが、その8割が放置されて大荒廃している。それで何が困るかというと、水源の森を造ってくれる野生鳥獣が、ねぐらと餌場を失って生きられなくなった。そのため、里にどんどん出てきて、農作物に被害を与えている。農家が悲鳴を上げている。国は、第一次被害者である野生動物を、第二次被害者である農家に殺させて終わらせようとしている。

 人工林の荒廃によって山の水源涵養機能もどんどん低下している。先日、兵庫県の地元の人たちが言っていた。

 「スギ植えろ、スギ植えろ、と言われていた。だから、スギを植えると山の保水力が高まるのかと思っていた。針葉樹が広葉樹に比べてこんなに保水力が弱いとは、まったく知らなかった」
 「熊森がスギの人工林を間伐しましょうか」と言うと、その人たちは、「間伐ではなくて全部伐採してくれ! スギはもういらない。これがあるために災害が起こるし、表土が流出する」と言っていた。

 国産材で家を建てたら補助金が出ることになっているが、需要は伸びない。これからは人口もどんどん減ってくる。木材の需要も減る一方だろう。人工林は1000万haもいらない。広すぎて手入れできないから、山を荒らすだけである。

 地元の人たちは、「スギは大根1本よりも安い」と怒っていた。「“儲かる”“左うちわで暮らせる”と言われてスギを植えたのに、今や、売りに出したら赤字になるだけ」という。そんな状態になっている。私たちは、日本の山に植え過ぎた人工林の3分の2を、山から除去しようと活動を進めている。


自然林の砂漠化

 一方、残された自然林はどうかというと、こっちも近年、林内が急速に荒廃してきている。

 私たちは2005年くらいから、自然林までもが急速に劣化しだしたのを見て、びっくり仰天した。まずは、ナラ枯れ。日本海側中心に、真夏に山が真っ赤になって、ミズナラの巨木を筆頭に、ナラ類カシ類シイ類がどんどん枯れ始めた。いずれも秋にはドングリが実る大切な木であった。回復には数十年から百年以上かかるであろう。

 次に起きた信じられないことは、森に木々は残っているのだが、下草や灌木が消え、昆虫・鳥・獣など、生き物という生き物が森から消えてしまったことだ。国は、直接的には、数のバランスを崩して増加したシカの食害が原因としているが、自然界のことは、あまりにも複雑で、調べても調べてもわからないことだらけである。「沈黙の森」が各地で誕生しているが、その根底には、拡大造林、酸性雨、地球温暖化など、人間活動があるという説得力のある指摘がある。

 写真は、兵庫県の奥山にある原生的な自然林で、海抜800m〜1200mあたりはブナ、ミズナラの巨木の森である。ところが、今や、森の中をのぞくと、昆虫がいない。アリやハチがいないと、クマは生きられない。このように、生き物が何もいない自然林が各地に広がってきている。

 「最近は植えるところが少なくなったので、あまりスギを植えていない」と行政は言う。しかし、植えなくなったらいいのではなく、人工林を減らさないことには、問題は解決しない。

 林野庁に聞いたら、この10年間で針葉樹の人工林は0.5%減ったという。しかし、人工林が0.5%ぐらい減っても動物がすめる場所はもどらない。林野庁が平成25年度に発表した平成41年までの「全国森林計画」を見ると、広葉樹の自然林をとりもどす計画は全くない。現状維持である。多くの林野庁職員は個人的には、「拡大造林は失敗でした。日本の山を大荒廃させちゃいました」と、正直に私たち打ち明けるが、組織としては、「失敗でした」とは口が裂けても言えないのだろう。これでは、林野庁内部からの改革は望めない。


国を動かす

 仕方がないので、私たち民間が、あの手この手で人工林を自然林にもどしている。写真は、奥山保全トラストが、静岡県の佐久間で買いとった294haの山林だ。6割が人工林の為、列状、群状、皆伐と、場所にあわせてどんどんスギを除去中である。2007年に伐採した跡地に、何種もの広葉樹が自然に大きく育ってきている。まだ、今のところはシカが食べないものばかりだが。

 地元の森林組合に、「売れる木は売ってもらっていい。私たちは1円もいらない。その代わり、無料でスギを伐採して広葉樹林を復元して欲しい」とお願いして、スギの伐採をどんどん進めてもらっている。この数年で、ここだけで57haの人工林を整備してもらった。

 しかし、こういう動きは、このあたりでもまったく起きていないとのことである。植え過ぎた、そして、植えてはいけないところに植えたこのスギを除去しない限り、問題は解決しない。

 私たちは、国有林もなんとか自然林にもどせないかと、森林管理署などと話し合っている。日本の山の最大の問題は、木が多すぎることである。多ければよいというものではない。過密に植えられたまま放置されているため、大変な弊害が出ている。大雨にも崩れにくい強い山にするためにも、間伐、皆伐、とにかく多すぎる針葉樹を早急に伐らねばならない。

 だが、私たち民間がいくらがんばっても、できる量は知れている。国を動かさないことには大きな変化は起きない。2010年11月末、日本熊森協会の働きかけで「奥山水源の森保全・再生議員連盟」が結成された。残念ながら東日本大震災のあと、せっかく苦労してつくったこの議員連盟が消滅してしまった。新たな議員連盟を来年、もう一度つくりなおさねばならない。

 この国の野生動物は、かわいそうに、殺されてばかりいる。環境省が今年やったのは、「狩猟の魅力まるわかりフォーラム」といって、ハンターになって動物を撃ち殺そうと国民に呼びかける事業だけである。これは、環境省が作った「すごいアウトドア!! ハンターというエコ・ライフ!?」というポスターである。

 動物のすみかを壊しておいて、かれらが生きられなくなって里へ出てきたら、みんなハンターになって、出てきた動物を撃とう、という。こんなのは、人間のやることではない。悪魔のやることだ。人間は悪魔になってはいけない。自分も不幸になる。慈悲の心を忘れたら、人間ではない。

 人間は狂う動物である。狂いだすと止まらない。私たちの動きはまだ小さいけれど、エリート過ぎて弱者の立場に立てない官僚や研究者の狂気に乗らないこと。全生物と共存してきた祖先の文化を取り戻せるように、皆で一致団結し、国を動かしていくことを考えよう。他生物にも優しい文明が、一番優れているのである。




一般財団法人日本熊森協会の森山まり子会長



110人が参加した第7回くまもり東京シンポジウム=2014年12月7日





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