さようなら原発1000万人アクション、10月27日
桝井道典
(2011年)9月8日の日本青年館の講演会から始まった「さようなら原発1000万人アクション」は、いわば脱原発の本流です。9月19日には6万人のデモになりました。
たくさんの講演会、集会、学習会が枝葉のように広がり、今までにない新しい形の「意思表示」が生まれています。
経済産業省を人間の鎖で囲んだ10月11日から若者4人のハンガーストライキが始まりました。「ぼくらが何もしないことはあるまい」と、若者を見守るように高齢者組「九条改悪阻止の会」のテントが立ちました。
テントの方は声高に議論するわけではなく、実に静かです。いつも誰かが来ています。話を交わすだけ。時々差し入れ──。なのに、テントに立ち寄るのは僕の意思表示です。ほっとする存在を確かめる、安心するため、かもしれません。
10月27日(木)の晴れた朝、新たに張られたテントに福島の女性たちが来ました。一緒にと、各地からたくさんの人が来ました。10時過ぎ、横浜の友人と合流した頃には、経産省の周りで皆が座り込み始めました。
お巡りさんもいます。「弾圧監視弁護」の腕章を巻いた弁護士の方も何人も立っています。今年生まれた赤ちゃんをダッコ紐(ひも)した福島出身の若い弁護士もいました。
「誰かが指示するのではない」「まとまっていないのだけれど、いつの間にか動いていて、面白い」「今までにない形ですね」という会話があり、思い思いの意思表示です。若い女性の3人グループは「原発うらめしや〜」の鉢巻をしたチョンマゲ鬘です。「オトコはだめだねー」と、戦中派の女性グループ「オバアの会」は横断幕を広げて横並びの座り込みです。おにぎり弁当持参でした。
虎ノ門寄りは陽がさし、日比谷寄りは影です。福島の女性たちのテント前での記者会見、経産省に文書申し入れ。ときどき、座り込みグループへ歌唱指導隊が回ってきて「ふるさと」の合唱──。平日の昼間、横並びになっての情報交換でした。
情報交換で、経産省の1階のトイレを使いました。お巡さんがガードしかかったけれど、職員の手招きでOKです。生まれて初めて経産省に入りました。「だって私たちのものだもん」とは、情報元の女性の言葉です。
「オバアの会」の云うごとく、男はダメなのか。何でそう云われるのか考えないといけません。参加者の8割方は女性でした。しかも年齢層が広い。
15時過ぎに解散です。10時過ぎの300人は700人を越えていました。
さようなら原発1000万人アクションは終ってはいません。「多様な命が生きうる環境」を取り戻したい、と思っています。
(2011年10月)
★関連ページ
- 悲劇を繰り返させないために〜原発神話崩壊に思う(木村真介、2011/11)
- 「さようなら原発集会」に6万人〜原発ではなく、命のエネルギーが輝く国に(2011/9/19)
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