悲劇を繰り返させないために

〜原発神話崩壊に思う〜

内川と内川河口をよみがえらせる会

木村真介






★2011年11月

 福島第一原子力発電所が爆発して8ヶ月が過ぎた。放射性物質が東北・関東・東海地方に飛散し、それらへの防護に神経を使っている日常が続いている。私たちはこれから30年以上、これらとの共存に耐えなければならない。
 チェルノブイリやスリーマイル島での原発事故もあって、日本では各地で原発の危険性を指摘し、その建設に反対してきた人たちがいる。この地震列島の上に立つ原発の危険性を指摘してきたのである。しかしその叫びは建設を止めさせる世論を作り上げるまでにはならなかった。そして54もの原発が作られた。


★電力会社

 この発電と送電を一手に担う独占会社は、原発の経済的優位性とともに、その絶対安全性を際限なく、多くの手段を通して強調した。それによって私たちの原発の危険性に対する不安と疑問を麻痺させたのである。これが建設を止めさせる世論を作り上げさせなかった大きな一因である。


★政治・官僚

 巨大な独占企業はまた、その莫大な利益から自民党・民主党に献金を続けた。金の力で政治を管理したのである。そして自民党との二人三脚の官僚による原発建設の施策が実行された。見返り行政というアメを舐(な)めさせれば、原発立地として目をつけた町や村をなびかせるのは難しいことではない。金の力になびく人が多いのは世の常である。でもそれは政治屋や官僚たちとの中で比べれば、5%対95%ぐらいの比率であろうか。


★報道

 潤沢な資金は全国紙といわれる巨大新聞にも注ぎこまれ、その安全性を多くの読者に植えつけた。かつて連日、朝日の1面左下に「原子力は安全」の広告が載っていたことを、いまだにはっきり覚えている。
 30年以上購読した朝日をこの3月に止めた。巨大化した報道機関がきわめて危険な存在だと、遅まきながら気づいたのである。彼らと同じ巨大企業からの広告料で飯を食う存在となった者が、その金を払ってくれる者に、注文や文句を言えるはずがない。これは個人でも小さい組織でも同じである。しかしそのことによる影響力は、蚊に刺されるのとマムシに咬(か)まれるほどの差がある。
 巨大な広告主に物言わぬ全国紙がこうしてつくられ、読者たちの原発への不安と疑問は消されていった。


★学者

 その道の専門家であろう学者。彼らはときどき「専門馬鹿」などと揶揄(やゆ)されるが、それは専門の道だけのことしか考えず、世間にも金にも疎い、少し可愛い気のある存在、でもあるという意味合いが含まれている。
 しかしながら今日ではそのタイプは少ない。昨今は「御用学者」という言葉が浸透してきた。よく使われているのである。彼らは権力や大きい組織に与(くみ)し、彼らの代弁をし、飯を食うのを常とする。その走りで典型的なのが、公害企業のチッソ水俣を弁護した学者たちである。ミナマタ病の原因を、チッソ水俣の廃液に含まれる水銀ではないとあくまで主張し、チッソ水俣を弁護した。
 電力会社も研究費などの名目で、そんな学者を抱え込み、原発の安全性を学者の発言として発信し続けた。そしてこれらを傍観していたのが我が国の無能な地震学者たちである。彼らは御用学者ではないが、「無能学者」ではある。まさに学者もピンからキリである。


★静かな町、村

 このような政、官、業、学、紙の叫ぶ安全神話に私たちは惑わされ、考えることを停止させられた。しかし今、その神話は崩れ去った。
 爆発事故後、放射性物質で汚染された町を視察した大臣が「死の町だ」と発言し、辞任させられた。「死の町」という発言が、そこの被災者を傷つけたという理由である。しかしこれはまやかしである。被災者への思いやりが足らないという非難の裏に、この究極の悲劇を直視させず、考えさせまいとする原発推進派のあくなき抵抗姿勢が隠されている。
 たしかに「死の町だ」という表現は、正確ではないかもしれない。草や木、鳥や虫、犬や猫、牛や豚が生きているのだから。私は「生き地獄だ」と表現するのがまともだと思う。花が咲き、鳥が鳴いている。ただ犬や豚が死んだ牛を食べ、死んだ犬や豚や猫をカラスが食べている。そして住民は住むどころか、防護服を着なければ、家にも帰れず、呼吸すらできない。住むこと、帰ることのできない「静かな、静かな町」なのである。
 大臣を辞めるまでのことではまったくない。少し感じ方が違った表現をしただけの話である。
 思いやりが足らないと声高に叫んだ勢力にこそ、この悲劇に、何ら人として感応しない空恐ろしさを感じる。


★大きな好機

 津波と原発爆発による甚大な被害、今きわめて困難な状況におかれているこの国。こんなとき、政治は何をしているのだろう。
 「ガンバロウ」「ガンバレ日本」などの国民に呼びかける言葉が眼に映るばかりで、私たちが素直に納得できることは何一つない。
 民主党はかつて、削れるものは削り取る。無駄な公共事業は止めると公約して政権をとった。今まさに、金が足らない極限の財政である。こんなときにこそ、削減する大好機である。でも何一つ削らない。金がなければ出るものを削ればよいだけの簡単な話であるにもかかわらず。そして分かってきたのが増税と消費税のアップである。


★公共事業

 八ッ場ダムの建設、泡瀬干潟の埋め立て、辺野古沖合の埋め立て、それらはすべて中止である。まったく金が足らないのだから作れません。ただそれだけの話。これからどう生きてゆくか、そんな何万もの被災者の方々をまず救わねばならない。まずそれが第一。ダムや埋め立てなんかはもうどうでもいいのである。文句は言わせない。


★サヨウナラ

 そしてもう一つ。日米安保条約も打ち切りますとアメリカに宣言すべきである。これまで「思いやり予算」として援助してきましたが、今はもうできません。金がまったく足らなくなりました。これもそれで文句なく通る話である。自国民を救わねばならないとき、しかも金が足らないとき、他国の軍隊の面倒をみる馬鹿はいないでしょう。まともな日本人ならそう考える。
 アメリカ軍には出てもらい、自衛隊で国を守りましょう。独立国なのだから。
 彼らが国に帰るときには、「これまでありがとう」と書いた幕ぐらいは作って送り出したい。この震災のとき、「友達作戦」と言って少し助けてくれた,そのお礼ぐらいはしたい。
 でも「せいせいした」などと言ったりしてはいけない。日本語の分かる者もいるかもしれないから。


★怒ろう

 放射性物質が半減するまで30年以上ある。50代以上の人々はそれを確認するまでもなく、大多数が消えてゆく。消えゆく者はいい。たいへんなのは、赤児や子や孫の世代である。彼らはこの先50年、100年、それと共存し続けねばならない。それによる発病をどこかで気にしながら。
 今私たちにできること。こんな悲劇を二度と繰り返さないこと。それにつきる。そう永くない将来、消えてゆく私たちが、ただ単に放射性物質のゆるやかな消滅とともに消えただけでは、余りにお粗末な終末である。
 私たちはこの悲劇を絶対に繰り返させない。それには原発をなくすこと以外にない。原発の絶対安全はありえない。この地震列島に巨大地震はいつか起こる。事故や人的破壊も考えられる。絶対安全は原発がないことである。
 後世、何もせず、少しばかりの放射能の消滅とともに消えた、無責任な世代と言われたくない。今の赤児や子や孫たちに。
 原発爆発の悲劇の中におかれても、原発廃止を明言せず、困難な財政の中でも何一つ削らず、増税と消費税のアップをもくろむ政治。若い人に仕事が少なく、あっても安い給料、結婚もできない。生活保護受給者は205万人を超え、何とかくらしていても放射能の心配が離れない。政治屋は、高額な報酬、献金と政党補助金の不労所得、高額な年金、そして諸々(もろもろ)の諸手当、まさに今ようの王侯・貴族である。
 怒りがこみ上げてくる。怒ろう。そして立ち上がろう。政治を変え、政治屋を消そう。
 そして赤児や子や孫が安心して暮らせる世の中にしよう。そう思いませんか。

(2011年11月)





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