福島、岩手のこと。


桝井道典




 (2012年)11月中旬、福島の郡山市といわき市へ行きました。郡山行きは、宮沢賢治についての講演を聴くためでした。

 講師は、僧侶で作家の方です。講演の最後に、「雨ニモ負ケズ」の一節の「南ニ死ニソウナ人アレバ行ッテ怖ガラナクテモイイト云イ」を「放射能は心配ない…」と言い換えて結びました。それまでの話しぶりが急にしぼんでいくような語り口でした。僕には、作家が遠いところを見るような目で諦め、自分を納得させているように思えました。「良かったね、心配しなくていいんだって」と会場で別れた地元の方の顔を、いまも複雑な気持で思い返します。

 いわき市には大学の同級生2人が住んでいます。岩手よりは小規模ながら、津波も来ました。基礎だけになった建物も目につく町中は静かです。平日の昼間、街を歩く人の姿はありませんでした。

 いわき市では炭坑跡のホテルに泊まりました。館内には炭鉱当時の写真などが展示され、従業員の方の話も聞けました。逆転の発想というべきでしょうか。エネルギー政策の転換を、一日10トンにもなる採炭の副産物の温泉を利用したレジャーホテルへと切り抜けました。一方、廃鉱後の炭鉱労働者は原発労働者になりました。

 翌朝、ホテルの玄関でこんな話を聞きました。「地震のあとは電気も水道も止まりたいへんだった」「3月11日よりも真下にある活断層が動いた4月の余震がひどかった」「従業員はみんな、いったん解雇され、その後に復職した」「フラガールの全国行脚や被災地訪問へのお礼や復興支援で、お客さんが来ている」。たしかに、農閑期になったらしい方々や団体客がたくさん来ていました。

 12月上旬は岩手の陸前高田市に行きました。被災した僕らの住宅予定地があるからです。市役所でコンサルタント会社がこう説明しました。「かさ上げが終わるのは平成30年頃。区画整理で面積は2割近く減ることになる」と。

 陸前高田の町中に積み上げられていたガレキは減りました。いまは咽喉(のど)を痛める臭いもありません。駅の線路敷きからレールが消え、文字どおり茫(ぼう)漠(ばく)とした風景です。どうしても目が行く仮設住宅は、物云わぬ、あるいは物云えぬ“群れ”のようです。仮設ではない公営住宅の公営住宅の完成時期は見えません。

(2013年1月)








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