「全国自然保護連合」今昔

全国自然保護連合 前代表 青木敬介



 1950年代・60年代「朝鮮戦争」「ヴェトナム戦争」というお隣の人々の苦しみの中で、息を吹き返した日本の財界は、政府に高度経済成長政策をとらせ、それから70年代にかけて、未曾有の経済成長を遂げた。

 その間、山々を削り、川を汚し、海を埋め殺し、戦後やっと残された美しい山河を大規模に壊し、海岸の埋め立て地に建設した大工場からは、未処理の廃水が海へたれ流された。「全国総合開発計画」による拠点都市(石油コンビナート)の増大は、そのまま全国総合破壊に移行した。

 大気汚染と水の汚濁は、いたる所に多勢の被害者を生み、耐えかねた人々による、反公害・反環境破壊の運動が燎原の火の如く、全国に拡がった。

 1970年代に入って、全国のそのような住民運動が力を一点に集めて行政に破壊と汚染を止めさせるべく、「全国自然保護連合」が結成された。その大きなエネルギーは、しばしば無謀な開発計画を阻止し、公害工場を裁判にかけた。

 しかし行政と財界は、司法を抱き込み、ほとんどの公害裁判を住民敗訴に追い込み、あるいは一部の住民運動をも抱き込んで、運動を分裂させ、1980年代には、「住民運動冬の時代」といわれる状況がやってきた。

 けれども環境破壊とそれにともなう健康破壊が無くなったわけではない。住民運動は厳しい様々な圧力の下で生き延び、あるいは問題ごとに再編成され、今も強い活動を続けている。具体的にいえば、山の破壊に歯止めをかけようとして、全国スーパー林道連絡会があり、原発に反対する全国ネットがあり、地域的には環瀬戸内海会議が活動するなど、つねに行政と財界の暴走をチェックし、破壊された自然の回復を考えている。

 今、それらの力を統合することはできないし、専門化した運動を統一することは難しいが、基本的な点で多くの運動の連携は可能である。また、共通問題に関してのみ共闘することもできる。それぞれのケースごとに運動体が効果的な方法を考えねばならない。

 また、環境問題と平和の問題は切っても切れない間柄であり、小泉や安倍によって貧困に追い込まれた人々の豊かさをとりもどすことと、憲法を改悪させない行動ともぴったり一致する。

 わが「全国自然保護連合」も37年目を迎えようとしており、「自然通信」も100号を発行することになったが、現在のより巧妙になった行政の住民だましを鋭く見抜き、乱開発に歯止めをかける使命はますます大きくなっている。

 多くの智恵を集め、これからのグローバル資金の動きや、没落するアメリカの姿、そして何よりもエネルギーの浪費を止め、地球の温暖化を食い止める働きを一人ひとりが担わなければならない。

(2008年4月記)   


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