道路迂回で決着した「関さんの森」
〜 森の分断は避けられたが… 〜
細田邦子
千葉県松戸市のJR新松戸駅近くに、関さんという方のお宅があります。
関家は、江戸時代より明治維新までは代々「名主」の家として、「荒谷」(こうや、現在の地名は幸谷)の地で暮らしてきました。現在の関家には約2haの敷地があり、屋敷林、梅林、母屋、蔵、「子ども広場」と呼ばれるグランドなどがあります。
屋敷林は「関さんの森」として(財)埼玉県生態系保護協会に寄付され、この財団の所有となっています。森を含む緑地は子ども達の総合学習の場であり、周辺の人々の散歩道であり、人間ばかりでなく野鳥ともども憩うことのできる貴重な緑地です。
ところが、ここを分断する2車線の都市計画道路を開通させるため、昨年8月、松戸市は強制収用の手続きに入りました。
この道路「幸谷高塚線」は1964年に都市計画決定され、その後、路線番号が3・3・7号線に変更され、千葉県内では、船橋市臨海部から市川市、松戸市、流山市を経て、埼玉県の三郷市へつながっていく道路になります。
先代の当主関武夫さんは、松戸市議会に地下走行案での道路開通を陳情し、それが採択され、しかしその後、なぜか開通促進の陳情のみが残された状況になっていました。
現地権者の関美智子さん、啓子さんの姉妹は、「道路について反対はしないが、なるべく大切な樹木を避け、敷地のヘリを通過してほしい」という考えです。
これまで松戸市と関家や森を育む会の人たちの間で、ルートをめぐって話し合いがされてきましたが、すれ違いのままでした。このまま進めば、市は千葉県収用委員会へ裁決申請することになっていました。
関さん側は、署名活動、シンポジウム開催、マスコミへの働きかけなど積極的に行い、ギリギリまで強制収用の回避をはかり、その結果、昨年秋、松戸市長と関家のみで話し合いが持たれ、今年2月基本合意書が取り交わされました。
これにより強制収用は免れ、関さんが自宅の玄関を開けると、目の前が都市計画道路になっているという事態はなくなりました。また、森や庭は分断されることはなく、ひとかたまりで残ります。
しかし、美しい梅林や少年野球ができるような広場はなくなってしまい、敷地の4分の1は道路になってしまいます。「1日1万台の交通量」の道路がそばにできるわけですから、森を含む緑地に与える影響は小さいものではありません。(「市川の空気を調べる会」の測定結果)。
できることなら、そのままそっくり残したい「憩いの緑地」でした。
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