“環境派”改憲論者の危険性

連峰スカイライン反対連合  大西将之



 憲法改悪の動きが強まっている。自民・公明・民主各党の動きとは別に、市民サイドの改憲の動きについて、「市民版憲法調査会」については既に2002年の87号に批判が書かれているが、それだけではない。元環境庁の役人(地球環境部長)だった加藤三郎氏は、「現行日本国憲法を自分たちの頭で作り直さなければならない」と決心している、という(『AERA』2002年8月号による)。 彼によると「日本国憲法は物質的充足の極大化をめざしてはいても、大量生産→大量消費→大量廃棄の破滅型社会への歯止めを欠いている」という。そして環境権条項に「国はいかなる政策を企画し、実施する場合にあっても、良好な環境の維持及び改善に努めなければならない」との条文を提案している。
 日本生態系協会会長の池谷奉文氏は新聞紙上で「新しい憲法へ」と題して、「新しい憲法は、競争の時代から共存の時代に向けた美しく持続する国づくりを土台に」と主張している。「持続可能な国づくり」が新しい憲法に盛りこむ最も大きな課題だ、というものだが、これも「憲法改正」を狙ったものである。
 「市民版憲法調査会」の五十嵐氏にせよ、加藤、池谷氏にせよ、一見もっともな主旨に見える。いや、時期さえ適当ならば、検討に値する事項ではあろう。しかしながら、現在の「改憲」ムードは、憲法を“より良くする”ためではなく“9条を変え、軍隊を持って戦争の出来る国にしよう”という事が最重要課題として取り上げられているものである。
そのためには、改憲派は、言葉だけの「環境権」やら「持続可能な社会づくり」を条文に謳うことに全く抵抗しないであろう。そんなものは実際の運用上どうにでもなる、ということは、戦争放棄・軍備を持たない、という9条がなし崩しにされてきた状況だけを見ても明白である。常に仮想敵国を作り上げ、アメリカに追随して軍事力を増強してきたのだ。
 私も、個人的には現行憲法に不満がある。それはまず、第1条が「天皇」から始まることを筆頭にして、幾つかある。しかし、全般的に見て、今、憲法を改める必要性は感じない。現行憲法の理念が80%ほども満たされ、その上で憲法を“より良く”しよう、というのなら言いたいことはある。しかし、先に述べたように、再軍備をして戦争の出来る国にしよう、という昨今の改憲論議には全く同感できないし、改憲論議に加わるということは、その意図を別にして、憲法改悪に手を差し延べているものと言わざるをえない。
 以前に紹介した筑紫哲也氏の発言を再録しておく。「憲法を変えれば、いろんなものが変えられると幻想を持ちすぎていないか」「戦争をどこまで実感して憲法論をやっているのか」。高橋哲哉氏はいう。「憲法(という体制の根幹をなす法律)を守れ、というと“反体制”という批判が来る」。いかに今の体制が「反体制的」であるかをマンガ的に示している。
 昭和21年、当時の内閣法制局が憲法改正草案について説明した「いわば捨て身の体勢(非軍備)」を真摯に追求してこなかった戦後体制が今問われている。

(2005年5月) 








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