■「自然と環境を守る全国交流会」参加団体


内川と内川河口をよみがえらせる会









■大森の海

 かつて大森の海といえば、4キロほど先まで遠浅であり、海水浴場もあった。冬は海苔(のり)、春夏秋は蟹(かに)・貝・魚の漁で、きわめて豊かな漁場であった。とくに海苔は、最盛期の大正・昭和初期には全国生産の3分の1をこの海で産出していた。
 この町はまさに海苔によって支えられ、繁栄し、生かされていたといってよい。しかし1960年代、漁業権が放棄され、高度成長の波に、大森の海は次々に埋め立てられた。そして、平和島と昭和島の間に細々として残るのみとなった。


■会の発足、そしてマリンプラザ計画

 1989年、地元の有志たちが集まって、埋め立てで失われた大森の浜辺と干潟を復活させたいと、「内川と内川河口をよみがえらせる会」を発足させた。それは、貝や蟹と遊び、魚を釣り、水とたわむれ、砂と素足の触れ合う喜びを、今の子供にも味あわせたいとの想いからであった。
 1993年2月、大田区は「いつも光と水にあふれていた太田」をうたい、「内川河口マリンプラザ」なる計画を発表した。しかしそれは海辺の復活どころか、残された海を3分の1も埋め立て、その上に博物館や地域センター、漁業体験施設などを作り、箱庭のように作りかえるものであった。
 当会と支援者は区に話し合いや申し入れをし、ねばり強く協議を重ね、ときには町中を宣伝活動して住民に理解を求めた。


■変化

 バブル経済がはじけた頃から、区も冷静になってきた。私たちの考えを徐々に汲み入れ、当初の計画を修正してきた。
 そして1996年5月、6度目の修正計画案が提示され、当会や地元自治会、商店街からなる地域住民協議会との間で、これが合意された。「古里の海、大森の浜辺」復活への青信号が灯されたのである。


■そして11年

 2007年4月、ようやく砂浜と干潟が復活した。陸地化した部分には、トイレ、足洗い場、休憩所、売店などしか作らず、さまざまな木々が植栽され緑陰をつくった。


■今

 2011年現在、継続的調査の結果、魚類、貝類は以前より格段に多様化し、今までは見られなかったアサリ、シジミなども見られるようになった。また冬鳥では、カモ類は1300羽前後、カモメ類も400前後飛来している。
 人々が集まり、癒し、和ませ、子供の歓声が聞こえる。また、地域の求心力が増し、活性化も呼び込んでいる。


■これから

 いちど破壊し、ヘドロが下に残る砂浜は、人間が作った人工の海辺である。いちど壊した自然を100%元に戻すことは不可能である。私たちはこれからもこの砂浜と干潟を見守り続けていく。壊したことの痛さを忘れないで。
(2011年9月)











復活した砂浜と干潟






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