■「自然と環境を守る全国交流会」参加団体


八ッ場ダムを考える千葉の会









■追原ダム計画を中止させた

 1997年の暮れ、房総半島の中央部を流れる小櫃川(おびつがわ)の源流域にある七里川(しちりがわ)渓谷をつぶして「追原ダム」をつくるという計画が発表された。洪水調整や水道水確保などの多目的ダムで、高さ46m、堤頂の長さ139mのコンクリートダムとのことだった。
 地元のハイキングクラブでこの地を幾度となく訪れ、豊かな自然を次の世代に残したいと考えている仲間がよびかけ、「追原を歩く会」を結成した。水没させるに忍びない動植物や景観、この地に暮らした人々の歴史などを広く人々に知らせる活動を始めた。また、「本当にダムが必要なのか」「ムダな公共事業ではないのか」を調べた。その結果、ダム建設推進の根拠である上水道や工業用水の需要の伸びは鈍っており、また、治水技術の進歩で洪水の危険性は考えられないということがわかった。調査結果をもとに、千葉県と交渉を重ねた。
 東大演習林の深い山に囲まれ、川床と両側の地層の美しさや秋の紅葉で県民に親しまれている七里川渓谷を残そうと各地で訴え、写真展を開いた。七里川のクリーンアップや観察会も続けた。運動は大きく広がった。
 そして2000年9月、県の公共事業評価監視委員会が追原ダム建設事業(国の補助事業)について「中止が妥当」との判断を下した。折りからの“脱ダム”の追い風も受けて、追原ダム計画は白紙撤回された。
 この運動で私たちは、小櫃川(おびつがわ)河口干潟(盤洲干潟)を守っている人たちや、盤洲干潟と旅鳥たちの命の鎖でつながっている三番瀬(さんばんぜ)の人たちとつながることができた。森が豊かな水を育み、川が運び干潟をつくる。生きものたちの命のつながりを知り、それらを守っている人たちともつながった。


■八ッ場ダムもいらない

 そんな折り、八ッ場ダムのことを知った。七里川渓谷に計画された「追原ダム」と、吾妻(あがつま)渓谷に計画されている「八ッ場」。規模は違えど同じような多目的ダムであり、計画後数十年経ってつくられなくても特に困ったこともなく、ムダな公共工事であることは「追原ダム」とほとんど同じだった。そして、八ッ場ダムには千葉県からも負担金が毎年支払われ、完成すれば高くてまずいその水を買わされることになるという。
 追原ダムと同じように八ッ場ダムを中止に追い込みたい。私たちはそう考えて「八ッ場ダムを考える千葉の会」を結成し、幾度も現地を訪れた。想像を絶する深い見事な吾妻渓谷、川原湯(かわらゆ)温泉のお湯の豊富さ、巨樹や野の仏たち。人や生きものたちが生き継いで来た豊かな歴史を、ムダなダム工事で水没させてはならないと、私たちは八ッ場を知らない千葉の人たちに知らせてきた。「千葉県が八ッ場の水はいらないと言えば、八ッ場は止められる」と。
 東日本大震災の折りの福島第1原発の事故により、撒き散らされ山に積もった放射能は雨が降るたびに川の水に流れ出し運ばれて来る。浄水場からセシウムが検出され、赤ちゃんのミルク用の水がなくなる事態も起きた。
 なぜ、関東一円の人々がみんな利根川の水を飲まなければならないのか。千葉には豊かな湧き水があり美味しい井戸水がある。
 地層という自然の濾過(ろか)装置は、百年前に降った雨を地下水として私たちにプレゼントしてくれる。八ッ場ダムが完成したとき、その井戸や湧き水の取水は止めてしまうのだという。
 「美味しくて安全な千葉の水を飲みたい」
 そういう面でも八ッ場ダム反対運動を展開して行きたい。
(2011年9月)


《参考ウェブサイト》
 http://www.boso.shizen2.jp/sitiri.htm
 http://www.boso.shizen2.jp/yanba.htm








各地で写真展を開き、小櫃川源流域の自然の豊かさと人々の暮らしぶりを紹介した=1999年



160人で七里川クリーン作戦=1999年6月



七里川渓谷観察会に150人が参加=1998年11月



八ッ場ダム負担金支出の中止を求め、千葉県水政課と交渉=2002年6月



八ッ場ダム予定地を見学=2002年5月



群馬県の黒檜山(赤城山の最高峰)頂上で「八ッ場ダムNO!」の凧を揚げた=2004年1月






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